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殖木の諏訪神社に建立された植木・苗木発祥の碑
植木のはじまり
植木が始まったとされる1700年前後は、時まさに元禄時代。戦国時代はすでに遠く、貨幣経済が進み商品流通が盛んになると、人々の暮らしも安定してきました。しかし享保時代になると天災による飢饉がたびたび発生した上、幕府の財政が破綻してきて、そのしわ寄せが農民に降りかかってきます。
そんな中、高値で取引される植木・苗木を生産することは、年貢に苦しむ農民の生きる糧と希望になったのでした。気温の温暖な九州を横断する筑後川が栄養豊かな水を運び込み、この地では樹木はすくすくと育ちました。やがて苗木技術を追求する先人たちが現れ、次第に田主丸は植木・苗木の里として発展していきます。
詳しい話はこちらのページに
まとめとるばい~
田主丸町植木販売協会
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かんきつ類苗木
全国シェア8割!!
扇状地の砂礫質の土壌と水はけのよさで、耳納北麓は古くから果樹栽培が盛んでした。空前のブームとなった夏みかんの苗木づくりをきっかけに、本格的な苗木栽培が始まり、新しい品種が苗木業者によって次々と争って栽培されて全国へと送られていきました。現在、田主丸の柑橘苗木の全国シェアは、今や8割を占める一大産業となっています。
田主丸の植木市場
昭和三十六年、田主丸苗木交換会が発足し、当時町役場の玄関前広場で交換会が実施されました。この交換会は一躍人気の的となり、九州全域から数千の人が集まり、当時1回の売り上げは百万円を超えていました。
交換会は現在では植木市と呼ばれ、田主丸町植木農業協同組合によって毎月五の日に行われており、その売り上げは約七億円(平成17年)に達しています。
田主丸町植木農業協同組合・植木市場での初競り。
爽快な朝日の下での祈願祭が行われ、一年の安全と繁盛を祈願します。
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