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History
時を遡ること慶長年間(1596-1615)、筑後国、白髪巨眼の老練政治家「菊池丹後」が、吉瀬名の藪一二五間を開いて町筋を創建したのが田主丸町の始まりとされ、丹後の往生観「我極楽世界楽生」の「我楽しう生まる」から「たぬしまる」の名がついたと伝えられています。 「たのしまる」と呼ぶ人も多く、思わず由来をたずねたくなる町の名。そして、その名のとおり、楽しく心のままに人生を送る「楽生」の精神は、町の人々の中に脈々と息づいているのです。
田主丸の風景で印象的なのは、東西に屏風のように連なる美しい耳納連山と雄大な筑後川。その山と川の風景は、田主丸の人々の心の故郷です。
田主丸には数えきれぬほどの古墳があります。中でも大塚古墳は古墳後期で九州最大の前方後円墳。まだまだ謎の多い古代史の世界をのぞいてみましょう。
耳納山の名のいわれとなった伝説を今に受け継ぐ石垣山観音寺。樹齢1500年の大楠がある阿蘇神社。田主丸の歴史ある寺社仏閣にはいずれも見るものの心打つ古木があります。
巨峰開植の地田主丸。目の前に広がるぶどう畑や柿畑、植木・苗木畑の風景の影には、農民の汗と涙の秘話が潜んでいます。
田主丸河童族は戦後のまちづくりの祖。その気骨ある精神が今も脈々と受け継がれているのか、全国でも注目されるまちづくりの活動が数多い田主丸です。
田主丸町合併50周年記念誌
「田主丸ん本」より
図書館に
あるよ~
田主丸河童族は、昭和を伝えるフィルム映画『伸びゆく田主丸』と、当時を知る語り部の音声をネット動画で公開。同時に、田主丸の現在を紹介する冊子『語る、田主丸。』を発行しました。動画につながるQRコードを掲載して、昔と今をつなぎます。
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